月一コラム第十五弾!令和3年2月号

 今月は私の誕生日の月です。おかげさまで無事に46歳を迎えました。これまでお世話になった皆様に、あらためて感謝をする月にしたいと思います。

 

 誕生日を前にして、お墓参りに行きました。墓石を見てみますと、現在のお墓に最初に入ったのは私の祖父です。「昭和55年」と刻まれており、40年以上前ですが、祖父が亡くなった時のことを私は今でもはっきりと覚えています。

 

 私の祖父は肺がんで亡くなったのですが、診断がついて余命少ないと分かったのは、新型コロナ専門病院として全国的に有名となった「大阪市立十三市民病院」でした。自宅や祖父の家からも歩いて行ける距離だったので、毎日のようにお見舞いに行きました。当時はがんと診断されると、患者本人には本当の病名を教えないのが一般的でした。私の両親は主治医から「がんが広がっていて、会わせたい人がいたら早めに会せるように」と説明を受けていました。当時の私は5歳ですから、両親からすると「子供だから主治医の話は理解できていない」と考えて、油断をしていたのでしょう。私はその主治医の説明を傍らで聞いていました。そしてそのまま病室に戻ると、なんと私が祖父に本当の病状を明かしてしまったのです

 

 その後の展開は覚えていないのですが、父によるとその時、祖父は「もう点滴をしなくてもよい」「これで退院して家に帰れる」と喜んでいたそうです。ここから先の話は来月以降に書かせていただこうと思うのですが、ここまでで分かることは、当時の日本では、がん患者さんの自己決定権の大部分は主治医や家族に属していたということです。もちろん今はそうではありません。

 

 そして現在でも議論になるのは、自己決定権を患者さんが持つことははっきりしているが、医療情報は誰のものなのか?という点です。ここはまだクリアになっておらず、たとえば医療法や医師法等で「診療録(カルテ)は医療機関等が保管すべき文書」と規定されていますが、その「診療録の内容」が誰のものなのか、いまだにはっきりしていないのです。個人情報保護法上では「患者さんのもの」でしょうが、刑法ではこの情報を医師が漏らすと罰せられますので「医師のもの」なのかもしれません。一方で、地域包括ケアシステムの中で、様々な医療・介護・福祉等の多職種が連携する際には、この「医療情報」の連携不足が大きな壁になっています。現在、超党派の議員や各省庁、関係者の皆さんと研究を進めています。

 

梅村 聡